2016年M-1について、伊集院光氏がラジオの中で、「審査員に関東人が一人もいない」という指摘をされました。審査員はオール巨人氏・松本人志氏・中川家礼二氏・上沼恵美子氏と4人が関西出身で、残りの博多大吉氏も福岡出身と、全員関東人ではありませんでした。また、視聴者がDボタン投票で決勝進出者を決める敗者復活戦でも、「視聴率20%越えの関西と10%前半の関東の合計数では、関西芸人に有利なのでは?」と。実際に敗者復活戦を勝ち抜いた和牛含め、最終の3組はいずれも大阪で活動する芸人です。
この問題提起を考えるに当たって整理しておきたいのは、「関西芸人とは何なのか?」という点です。私の考える関西の要素とは、出身や言葉ではなく「漫才のスタイル」だと思います。今回最後まで残った3組はいずれも関西出身・関西拠点ですが、最大の特徴は関西スタイルの漫才だったということ。では「関西スタイルの漫才とは何なのか?」です。それは現在最もオーソドックスな漫才の形を指し、また(おぎやはぎ矢作氏のコメントを借りると)「競技用の漫才」として認識されています。今年のカミナリ・スリムクラブは、出身地もスタイルも関西ではありません。逆に、過去のサンドウィッチマンやトータルテンボスは関西出身ではありませんが、関西スタイルでした。伊集院氏はラジオで「大竹まことさんが審査員にいれば・・・」と言いましたが、大竹まこと氏は2007年M-1の最終決戦で、サンドウィッチマンやトータルテンボスではなく、関西正統派漫才のキングコングに一票を投じました。決勝予選でもキングコング・笑い飯・ハリセンボンが上位3組で、非関西出身の上記2組をあまり評価しませんでした。このことから、伊集院氏の推す大竹氏は、サンドウイッチマンやトータルテンボスが「非関西」とは考えていないことが分かります。
その定義にのっとれば、「M-1で関西スタイル以外の漫才が優勝したことはない」という事実が見えます(アンタッチャブル、サンドウィッチマン、パンクブーブーなどは非関西出身ですが、スタイルは関西です)。2010年のM-1では、笑いの総量で見ればスリムクラブ優勝でも不思議ではありませんでしたが、笑い飯に軍配が上がりました。その時、島田紳助氏は「スリムクラブみたいなのが優勝したらあかんねん!」と発言しましたが、それはスリムクラブの変化球的なスタイルに対する否定、つまり「関西スタイル以外は競技用として認められない!」という解釈にも取れます。
つまり、伊集院氏の指摘する問題は「関西スタイルのみが競技用となってしまっている」ことに対する様に聞こえます。なので、「審査員の出身地が~」や「視聴者が関西人~」という指摘は、またお門違いかなと思います。例え視聴者が全員関東人でも、敗者復活の結果は変わらなかったでしょう(実際に審査員に対する問題の声はあっても、結果への疑問の声はほとんどありませんでした)。それは審査員・視聴者含め全ての人に「関西漫才=競技用」という意識が根底に強く残っているからです。さらば青春の光やジャルジャルのように関西出身でも新しいスタイルで優勝するコンビが現れれば、その議論はまた変わった形になるでしょうが。この問題定義は、単純に出身地や個人の評価がどうこうよりも、「漫才とは何か?」という根深いところに起因していると感じます。